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My Choice Vol,14 【2ヵ国留学+2ヵ国ワーホリを振り返ってみて思う事~】

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皆さんこんにちは!

パインスの武蔵です!^^

今回は、約5年前にパインスに留学をしてくれた野口さんの My Choiceインタビューを実施しました!

大学卒業後は、日本の企業で就職するも2年でフィジーへ留学。その後、フィリピン留学を経てワーホリに突入した彼。ニュージーランドとオーストラリアでもワーキングホリデーをして様々な経験をしてきました。そんな彼の経験談を紐解いていきます!


【野口さんのパインスでの経歴】

留学した期間:3カ月
留学した年:2013年
コース:Power ESLコース(パインス一般的なESLコース)
レベル:3~5

【現在の英語能力】

TOEIC L&R : 765点
IELTS Overall : 6.0


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【ラットレース】

M : 本日は、よろしくお願いします!
N:こちらこそよろしくお願いします!

M : まず、そもそもの趣旨である留学を決断した経緯を簡単に教えて欲しいです。
N : はい。僕の場合、決断をしたのは日本の会社に就職してから2年後になるのですが、決断により大きな影響を与える事件はもっと前にありました。

M : どのような体験だったのですか?
N : 20歳の時にアメリカのニューヨークに留学をしていた友人に会いに行ったんですが、その時に起きた事です。当時は、今のように英語をしゃべる事も全く出来なかったので、ガイドブックを持参してイミグレーションに臨んだんです。その時に聞かれた質問に対して適切な回答ができなかったんですが、イミグレーション担当官から、日本人でもわかるような悪口言葉を放たれて、それ以降外国人恐怖症になってしまった。

でも、その経験がフックになって行動を起こせたと思います。

M : 4年越しの大きな決断だったんですね。日本ではどのような仕事をしていたんですか?
N : 大学を卒業してからは機械メーカーの会社で営業の仕事をしていました。旋盤っていう工作機械を販売する仕事をしていて、歯医者さんなどもクライアントでした。

でも、上のポジションに上がるには誰かが辞めた時っていう仕組みで、2年ぐらい働いた後に、自分の夢を振り返って、行動を起こしました。

M : そうだったんですね。日本の機械メーカーっていうと、就職難易度が高いイメージがありますが、良くそんな会社を辞める決断をされましたね。
N : 実は、給料もそこそこもらっていたし、ボーナスも出ていたんです。でも、海外に行きたい夢が勝りました。当時の僕は、ラットレースの中にいたように感じます。そこから抜け出したかったっていう思いもあったかもしれません。

<ラットレースって何?っていう人はこの動画を参考にして下さい>

特に説明がされているわけではありませんが、Wikipediaによると、ラットレースとは働いても、働いても、一向に資産がたまらない状態の事を言います。


【歯車から抜け出して – 留学の本質って何?】

M : 仕事を辞められた後は、フィリピンに留学したんですか?
N : いえ、違います。まずはフィジーに2週間短期留学をしました。

M : フィジーは如何でしたか?
N : フィジーはとっても暑かったんですよ。クーラーもなくて自分の勉強に集中できませんでした。もちろん、自分の努力不足だったかもしれないけど、フィジーで気付いたのは、僕は自分に甘いので、今よりもっとシビアな環境に飛び込み、とことん追い込む必要があると思ったんです。そんな時に、フィジーで当時ボランティア活動をしていらっしゃった中村雅人さんと言う方に大きな影響を受けて、フィリピン留学を決めました。

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中村雅人さんが気になる人は、
こちらのブログを参照ください!

M : それで、フィリピン留学を決断されたんですね。でも、なぜマイナーなバギオを選ばれたのですか?
N : 先程のフィジーの時の体験が特に大きいのですが、僕は暑い所が苦手なんです。さらに、自分の甘さを考えた時に、シビアで厳しい環境を探していた所、バギオという街を見つけることが出来ました。学校はスパルタタイプの学校が多くて、講師陣や友人に引っ張られて自分も伸びていけると考えたんです。あとは、その周りの影響を受けるには何よりも大きな規模の学校が良いと考えて、最終的にスパルタ⁺大人数留学生にマッチしたパインスに決めました。

M : パインスでの生活はどうでしたか?
N : 今はなくなってしまっているけど、クイサンキャンパスでレベル3からスタートしました。結局4、5と1段階ずつレベルが上がっていったけど、主観的にはレベルアップを感じました。平日毎日繰り返したマンツーマンのクラスは充実した時間だったけど、それ相応につらい環境でもありました。朝07:00~夜は22:00ぐらいまでオプションクラスがあって、宿題等の自習を含めると、深夜まで勉強していました。

 

パインスの生まれ変わった新しいキャンパス情報はこちら!!

M : 周りに影響をうけて、しっかり勉強していたんですね。
N : はい。ルームメイトにも恵まれて、セルフスタディにも本当に精が出ました。ただ、勉強時間があまりに長かったので、疲労とストレスが溜まって、体調を崩した日もありましたね。。

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M : これから留学する、ないしは英語の勉強を再開する人にはいい刺激ですね笑
ストレスがたまる中で、土日は唯一外出が出来る日でした。どのような事をされていたんですか?
N : 土日は友達とショッピング、山登り、旅行などオンオフをはっきりと切り替えてモチベーションを保てるようにしました。友人の中にはもちろん日本人以外の人も多かったので、そのアクティビティの中でも英語を使う事が出来ました。

 

M : なるほど。3カ月、スパルタスピーキングのコースでしたが、総評して如何でしたか?
N : やっぱり、一番は自身につながった事です。英語の総合的な基礎を身に付け、1人で英語圏へ旅行が出来ると思えるようになりました。語学学校で英語を学ぶ事の本質は、もちろん英語力の向上ですが、日本人のように英会話に対して不安が多い人たちからネガティブな要素を取り除いてくれる景気づけになる所だと僕は思っています。

M : ありがとうございます!!


【ワーホリ生活 – 機械とは無縁の生活へ】

M : 留学を一通り終わらせた後、ワーキングホリデーに突入するわけですね。
N : はい。まずはニュージーランドでワーキングホリデーを1年間やりました。以前から興味のあったファームジョブを経験したんですが、キウイ・みかん・ライム・ブルーベリー・フィジョアピッキングや、剪定等を経験しました。

M : ワーホリというと、オーストラリアのイメージがまずは浮かんできます。特に、オーストラリアのワーキングホリデーは金額が良いなど話を聞く事がありますが、ニュージーランドはどうだったんですか?
N : 当時はレストランと掛け持ちで働いていたりしたので、月40万円稼ぐ時もありました。車の購入を現地でして、NZ北東南東ラウンドトリップをしたこともあります。


M : ニュージーランドに長くいようとは思わなかったんですか?
N : ファームのコントラクターからもワークビザのスポンサーになりたいとオファーももらっていたんですが、自分自身まだ旅が途中だったという事もあって断りました。
その後に、アジアを周遊しました。タイ・マレーシア・シンガポール・香港・台湾とNZで知り合った友人に再開をしていって、ローカルガイドの元で、各名所を訪れました。

 

M : その後にオーストラリアにワーキングホリデーですね。

N : そうです。実は、あるご縁があってオーストラリアではきついが安定して稼げると評判のあったバナナファームの仕事をすぐにゲット出来ました。

(なんと、このご縁というのは、My Choice Vol3 で記事作成に協力をしてくれた方とのつながりだったようです!! 世界はなんと狭い事か)

その記事は下記よりご覧ください!!^^
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M : マイナーだけど、行った人は皆好評のタリーという街ですね^^ タリーはどうでしたか?
N : シーズンを問わずに、コンスタントにつき30万円ぐらいは稼いでいたかとおもいます。ローカルの同僚に気に入ってもらえて、チームリーダーという役職のようなポジションをもらいました。ワーカーを乗せてトゥルービーやトラクターの運転をしたり、危険な薬剤の散布等を実施しました。今振り返ってみると、他のバックパッカーでは経験できないような仕事を任せてもらえたなと思っています。60キロオーバーのバナナの房を㏠十担いだり、蛇と格闘したりと中々刺激的な時間を過ごせたと思います。

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M : 蛇と格闘!?
N : はい。そうです笑 ファームには、蛇やカエルが出るのですが、国の条例で殺してしまってはいけない。だから、蛇の場合は口の部分を抑えて噛まれないようにして、外に逃がしたり。毒を保持している蛇の場合は棒などを使ってうまく逃がしていました。

M : すごい環境。。機械を販売していた時とは無縁な生活ですね。。抵抗はなかったんですか?
N : むしろ、農業はずっとやりたかったから抵抗はなかったです。農業に興味があったからこそ、最初はニュージーランドに決めたし、自分の適性ともマッチしていたんだと思います。


【旅の途中 – 一次帰国中】

M : 現在は何をされているんですか?
N : 東京浅草のおいもやさん輿伸というスイートポテト等を取り扱う芋菓子専門店で働いています。ワーホリ時期も日本に一時帰国している時期はあったんですが、その時は短期で仕事をしていました。

・富士登山ツアーの添乗員

・友人の会社で職人の手伝い

・主要空港で訪日外国人相手のアンケート調査

・インターナショナルスクールのスタッフ等々

英語を活かした仕事が基本的に多かったです。

M : 浅草での仕事は、英語を活かせていますか?
N : 使いますね。ネイティブのお客さんも多いです。全体の3割ぐらいが外国人です。中国の人も多いので、中国人の人と智英語で接客したりしています。まるごと日本って日本の物産展があるんですが、そこへの案内などもやっていました。

まるごと日本は、こちら!

M : 浅草って、外国の方が訪れるイメージが凄くあります。結構重宝されるんじゃないですか?
N : やっぱり、外国人の人がいるとわりと対応する事が多いです。ですが浅草は、英語が当たり前になりつつある街で、人力車の人も英語を話せると外国のお客さん対応が出来る。浅草の高齢者層の人も片言だけど英語を話している所を見かけた事があります。

実は、浅草に決めたのもそういった国際色を感じられる環境だったからでもあります。


【英語に対する今の姿勢と今後の展望】

M : 昨今では、留学したら勉強は終わりっていう人が増えてきているように思います。
留学ではあくまで英語の基礎しか習得できないのに、それだけで満足してしまっている人も多いのかと思っています。そんな中で野口さんは、今も勉強を継続なさっているのですか?

N : はい。仕事前・仕事後に必ず毎日少しずつ英語を勉強しています。人生初のTOEICを今まで2度受験し、オーストラリアで2度受験したIELTSも日本でもう一度受験しました。

M : 試験を受ける事でモチベーションの継続も図っているわけですね
N : はい。昔からわかっていた事ですが、自分は集中力がないし、特に抜きんでた能力もないと思っています。それでいてスローラーナーだから、継続の重要性を常に念頭に置いて、1日1ミリでも良いので少しでも成長しようと努力しています。

M : 継続学習のコツ等はありますか?
N : 一番は自分を信じて続ける事だと思います。学校の成績と同じで、英語の習得スピードは人によってばらつきがあります。その中で、いかに他人に振り回されず、ぶれずに続けられるかがキーになると思っています。

M : これからの展望もお伺いしたいです。
N : カナダ・イギリス・アイルランドのワーキングホリデービザを申請する予定です。今の相方とよく相談して最終的に目的地を決める見通しです。もう間もなく30歳となる節目。本気で永住権を狙っていきます。


【今後留学をする人たちに向けて】

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M : ありがとうございます!では最後に、今後留学する人達にメッセージをよろしくお願いします!
N : 僕の場合は、留学+ワーホリの観点から話をさせて頂きたいのですが。仕事探し、友達作りには英会話がマストであったし、ある一定の期間が過ぎたら、それにストレスを感じなくなりました。人見知りだからとか、しゃべるのが苦手だからとか、そういった”出来ない理由”は排除するべきだと思います。常に前を向いて物事に取り組まないと、特に海外では生きていけません。精神的に弱い人は、自分に挑戦するいい機会になると思います。

そして、これはフィリピンに限った事ではないんですが、現地にいったらその土地ならではの文化は必ず勉強してほしいです。日本で育んだ常識は殆どが通用しませんし、せっかく海外に来たのだから、同じ日本人とばかりいてもつまらないと思います。もちろん、日本人の友人も増えましたが、別の国で出会う日本人は、日本の学生時代や社会人時代には絶対交流しないような人たちばかりでした。

海外で出会う日本人で、有意義な生活をしているなと感じる人は総じて明るく、楽観的、そしてなにより気さくに話しかけてくれました。こういった方々は日本でうまくコミュニティーに入っていく能力があるだろうなと思います。

逆に、今留学で悩んでいる人で、人間関係等でつまずいている場合は、海外でもそうなってしまう危険性があります。このあたりは注意をして、意識して行動すれば変わると思います。

そして、一番伝えたいことは、”笑顔”を忘れない事!”笑顔”は世界の共通言語だと、どこかで聞いた記憶がありますが、まさにその通りだと思います。


結びの”笑顔”をインタビュー中も絶やさなかった龍也さん。
どんな質問にも親身に受け答えをしてくれる、お兄さんのような人。
それでいて、自分に厳しく、常に成長を意識している。

フィリピン留学当時から一貫してぶれない考え方を大事にし、今もなお真剣に人生を生きている彼のインタビューは学ぶことが多かった。

ラットレースから抜け出し、自分で道を切り開いている龍也さんの今後の人生が楽しみで仕方がない。

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Musashi